「萩の七化け」 萩焼の陶器は高額の買取

投稿日 : 27-02-2012 | カテゴリー : 陶器

父の物を整理していたら骨董の「萩焼」茶碗が出てきました。
父は山口県の萩出身が自慢でした。
わたしも小さい頃は茶碗の手入れを手伝わされていました。
他の茶碗とは違い手入れも面倒だったような気がします。
記念としていつまでも手元に置いておきたいのですが、
萩焼は使わず持っていてもカビが生えたりするので売却することにします。

茶碗は柔らかい色合いの茶碗と、しぶい色合いの茶碗の2個があります。
同じ時期のものを片方だけしか使っていなかったのでしょう。
使い込むと味わいが出てくる「萩の七化け」が分かるようです。

柔らかい色合いで手になじむ萩焼の茶碗は陶器の中でもめずらしいものです。
使い始めは水漏れし、使っていると変色、使わずにいるとカビてくる。
それがなぜ「一楽 二萩 三唐津」と言われるのか、
触ってみないと分からないですよね。

父が育てた萩焼の陶器は買取専門業者の方が買取っ下さることになりました。
箱と一緒に引き取ってくれましたのですぐに査定も終わりました。
買取専門業者の方からは、ひとつは粉引茶碗で、もうひとつが剛毛目茶碗というものだと教えてもらいました。
それぞれに高額の買取をしてもらい、陶器の保存の難しさを多少経験しているものとしてはホッとした気持ちでいます。

掛軸買取でお別れ会の前に同窓会

投稿日 : 20-02-2012 | カテゴリー : 掛軸

中学の恩師と久方ぶりにお会いしました。
往時はなく少し年嵩の同年輩に見えました。
授業は厳しく両腿に手を置き、「書いてもよろしい」
と仰ってから初めて鉛筆を握ることが普通でした。

その恩師からお電話をいただき、双方ともに
毎日が休日となった身ではありますが、
サラリーマン生活での習性みたいなもので
日曜日にお約束をいたしました。
遠方からお越し頂き、恐縮しながらお出迎えし、
お土産まで頂戴し言葉が足らず
お気を煩わせたと後悔したところです。

先生はお独りなられて10年以上が経ち、
子どもがいないので独身を満喫していると苦笑いされていましたが、
いつ何時にと、身辺の整理をしていると仰っていました。
そこまで話されてから、風呂敷に包まれた6本の掛軸を出され、
「君に頼みがあってやってきた、これを処分して
いつかの時には自分のお別れ会をやってほしい」
と申されました。

お預かりし、後日買取専門業者に連絡をとり買取をお願いしました。
珍しい品もありそれなりの値段がつきました。

特に先生が退職後も研究されていた,
清朝の李鴻章の書の掛軸は高値となり、最も高い価格で買取って頂きました。

後日、先生にご報告を入れ
「予定価格が大幅に超えた掛軸買取で
お別れ会の前に同窓会を開きましょう」
とお伝えいたしました。

悪い結果にならず安心した茶道具の買取

投稿日 : 13-02-2012 | カテゴリー : 茶道具

昔、家に古い茶道具がいくつかありました。
しかし、あまり使う機会はなく、邪魔になっているとさえ感じました。

そこでは、私はこの邪魔になっている物を、
銀座にある茶道具の買取店にもって行き、売却しようと思いました。

しかし、家に茶道具を手放すというのは、どこか寂しい気もします。
私は、心に迷いが生じたのです。

ただ、よくよく考えてみたのです。

売れば、金になる。
しかも、欲しいと考えている人の手に渡る。

こう考えると、やはり売却すべきと感じてきました。
そこで、さっそく茶道具を買取ってくれそうな店を探しました。

きちんと評価してくれる店がいいと思ったので、
そんな店はどこかないかと、探してみたのです。

その結果、幸いに、まあまあ近い場所に買取店ががありました。
ひとまず、私はそこに持っていく事にしたのです。

店に行き、私はさっそく鑑定してもらいました。
すると、全部で数万円の値段になりました。

悪くはないと思ったので、私はその値段で手を打つ事に決めました。

あまり値が付かず、がっかりするかとも、
思っていましたが、悪い結果にならず、ほっととしました。

骨董の世界では中国の陶磁器も人気があります

投稿日 : 06-02-2012 | カテゴリー : 中国骨董品

骨董の世界では中国の陶磁器も人気があります。
というのも、中国は世界の陶磁工芸の中でも極めて重要な存在であるからです。
陶磁器が英語で「チャイナ」と呼ばれていることも、その裏付けといえるでしょう。
そんな中国陶磁の中でも、一段と高い位置にあるのが「景徳鎮」です。

景徳鎮は地名からその名がつきました。
漢の時代から磁器の生産が始まり、現在まで約1700年の歴史があります。
宋代の景徳年間(1004~1007年)には、宮廷から宮廷用陶磁器生産を監督する役人が派遺され、
出来上がった作品の底に「景徳年製」の年号を付けていたそうです。

この時代の磁器は真宗皇帝の詔勅により、景徳鎮と改名されました。
元代には「青花(染め付け)」が開発され、製造されるようになったのです。

景徳鎮の陶磁器は「玉のような白さ、鏡のような明るさ、紙のような薄さ、磬のような音色」
と表現されるほどクオリティーが高く、また美しさも兼ね備えています。
そして日本の「有田焼」にも大きな影響を及ぼしています。

景徳鎮の焼き物は骨董世界でも多く扱われており、状態や大きさ、用途によって価格には開きがあります。
銘があり、有名画家の彩色があるものなどは、数十万円~、高いものになると100万円単位の作品も少なくありません。